奈良で演説中、白昼の惨劇,安倍晋三元首相凶弾2発撃たれる
更新日:2022-07-12 22:50:42 5632
8日午前11時半ごろ、奈良市の近鉄大和西大寺駅前で、参院選(10日投開票)の自民党候補の応援演説をしていた安倍晋三元首相(67)が銃撃された。
安倍氏はドクターヘリで救急搬送されたが、午後5時3分、搬送された奈良県橿原(かしはら)市内の病院で死亡が確認された。
奈良県警は殺人未遂容疑で、現場で取り押さえられた奈良市内に住む元海上自衛隊員の職業不詳・山上徹也容疑者(41)を現行犯逮捕し、手製とみられる銃を押収した。白昼の凶行に、周囲は騒然となった。
投開票日まであと2日。「最後の追い込み」を助けるべく、街頭演説に駆け付けた安倍元首相が凶弾に倒れ、父・晋太郎さんと同じ67歳で息を引き取った。
銃撃があったのは、演説が始まって間もなくのことだった。安倍氏の背後約5メートルの車道上に一人の男が現れた。灰色のポロシャツに茶系のズボン、白いマスクを着けた山上容疑者は、ためらうそぶりもなく、手製と思われる銃を構えた。銃は長さ約40センチ、高さ約20センチで、2本の鉄パイプを黒のビニールテープで束ねたような形だった。
1発目に発射された弾丸はどこにも命中しなかったとみられ、安倍氏は一呼吸おいた後に演説を止め、後ろを振り返った。その1~2秒後、山上容疑者は2発目を発射。安倍氏はその場で力なく崩れ落ちた。直後、一斉に悲鳴が上がり、安倍氏の白いワイシャツは、みるみるうちに赤く染まった。
警護の男性ら4~5人に一斉に飛びかかられた山上容疑者は激しく抵抗することもなく、現場からすぐ近くの道路上で押さえつけられた。調べに対し「特定の団体に恨みがあり、安倍元首相と団体がつながっていると思い込んで犯行に及んだ」と供述しているという。
安倍氏は、現場から1キロ弱の平城京跡歴史公園へ運ばれ、そこからドクターヘリで奈良県立医大病院へ搬送。救急センターには事件発生から50分ほどたった午後0時20分に運び込まれた。
同病院の福島英賢教授によると、到着時には心肺停止状態。胸部止血術と大量の輸血が行われたが、午後5時3分、死亡が確認された。心臓に大きな穴があり、死因は心臓および大血管の損傷による失血死とみられるが、銃創は首の前側の右寄りに2か所が確認されただけという。また、左肩の前にあった傷は貫通した弾丸の射出口と考えられ、現在まで体内から弾丸は見つかっていないと説明した。昭恵夫人は事件の報を聞いて現地へ向かい、午後4時56分に病院に到着した。
事件の瞬間、現場にいたという男性は「『ボカーン、ボカーン』と連続して音がして、直径30センチくらいの丸いリングのようなものから、白い煙が見えた。誰かが倒れたのは分かったが、それが安倍さんとは思わなかった」と衝撃の瞬間を振り返った。また、現場近くで作業をしていた男性は「大きな『ドン』という音がしたので、車のパンクか、機械のおかしな音がしたのかと思った」という。
この日、安倍氏は当初は長野県に入る予定だったが、7日に急きょ取りやめ。奈良市の後は京都府へ転じ、夕方からはさいたま市のJR大宮駅前で演説する予定だった。安倍氏の遺体は、9日午前に東京・富ケ谷の自宅に到着する見通しとなっている。
◆安倍 晋三(あべ・しんぞう)1954年9月21日、東京都生まれ。父は故・晋太郎元外相、祖父は故・岸信介元首相。77年、成蹊大卒。79年、神戸製鋼所に入社。父の秘書官を経て、93年の衆院選で旧山口1区から立候補し、初当選。小選挙区比例代表並立制導入後の96年からは山口4区で立候補し、当選10回。自民党幹事長、官房長官を歴任し、2006年に第90代内閣総理大臣に就任。12年に首相に再任して20年まで務め、通算在職日数3188日は歴代最長。



長野に入る予定変更し奈良で演説中、白昼の惨劇